New 【 中野景継の勧請 ー前原浅間神社ー 】をUP(4月2日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ。
(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてないけど)

 

現在、群馬県内の1,700ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんの近所の何かが載ってるかも?


【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

前原浅間神社は弘安10年(1287年)中野景継が富士山の浅間神社本宮の分霊を勧請し創建。中野氏は新田氏一族の大島次郎景継が佐貫庄中野郷に勢力を張り、中野氏を称したのが始まり。その景継に男子が生まれなかったことから、浅間大神に祈願したところ男子(景春)が誕生したことによる。

邑楽町中野・蛭沼薬師堂 (邑楽町中野)

蛭沼薬師堂の由緒は不詳。現在の薬師堂は昭和57年(1982年)の建立。以前のお堂を昭和37年(1962年)に屋根替えをした際に、天明3年(1783年)改築の棟札が発見されている。

邑楽町中野・愛宕神社 (邑楽町中野)

中野愛宕神社の創建は不詳。年代不明だが、愛宕神社には獅子舞が奉納されていた。ある年、日旱が続き雨が降らなかったが、愛宕神社の獅子頭に祈願したところ、たちどころに雨が降ったといわれる。

邑楽町中野・長良神社 (邑楽町中野)

中野長良神社は文禄2年(1594年)邑楽郡の総鎮守・瀬戸井長良神社(千代田町)の御幣を奉蔵し創建。中野村の鎮守とした。

邑楽町中野・谷中観音 (邑楽町中野)

延元3年(1338年)越前・灯明寺畷にて新田義貞が討死。側近として従っていた中野藤内左衛門景春も後を追い自害。景春の自害を聞いた奥方は出家し、妙言法尼と号し景春の菩提を弔った。谷中観音は妙言法尼が興国2年(1341年)に「西の谷の沼尻の辺りに如意輪観音を祀るべし」との神夢により、如意輪観音像を安置し一庵を結んだのが始まり。

安中市板鼻・釜渕山大乗院 (安中市板鼻)

大乗院はの創建は不詳。慶長年間(1596~1615年)に堀口出羽守貞忠が中興したとされる。境内の南側はかつて断崖で、直下に碓氷川が流れていた。そこに釜が渕と呼ばれる深淵があったことから、山号が釜渕山となったとされる。

安中市下秋間・榛名神社 (安中市下秋間)

下秋間榛名神社は長禄2年(1458年)の勧請と伝わる。秋の例祭には下秋間上組により黒駒流の獅子舞が奉納される。

安中市下秋間・八幡宮 (安中市下秋間)

下秋間八幡宮は康元元年(1256年)の創建と伝わる。秋の例祭では、下秋間中組による「ささら獅子舞」が奉納される。獅子舞の始まりは幕末といわれる。

高崎市棟高町・旧勧学院観音寺 (高崎市棟高町)

旧勧学院観音寺。地名にもなっているので、相当な規模の寺院だったと思われる。観音寺は明治10年(1877年)廃寺になっている。現在は馬頭観音を祀る観音堂と大師堂が残る。

中里猿田彦神社は、元々徳蔵寺の境内にあり毘沙門天を祀っていた。明治初年の神仏分離の際、毘沙門天は徳蔵寺本堂内に残し、堂宇は境外に移し新たに猿田彦神を祭祀したという。鳥居の扁額は「毘沙門天王」。


【ブログカテゴリー紹介】

「上州まったり紀行」のカテゴリー一覧です。各市町村別・テーマ別に分類してあるので、興味のあるものがあればご覧ください。


【注意事項】

本ブログは趣味の範疇でやっているものなので、記事や写真の説明に誤りがある可能性もあります。学術的に裏取りができていない異説・風説・噂話や勝手推論など多数書いてますので、そこはご理解の上、読んください。現地で「えぇ~、違ぁ~う!」と感じられても、ご勘弁を。

 

また「上州まったり紀行」は、基本的にリンクフリーです。記事中の写真も基本的にフリーです。但し、出典として当ブログ名(URL)を明示してくさい。商業利用については、いかなる場合においても「不可」です! (詳細はフッターエリアの「概要」をお読みください)


【お願い】

ブログ更新のモチベーション維持のために、ご協力をお願いします。

(下記バナーをクリックしてください)