New 【 富岡市田島・和合神社 】をUP(11月28日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬県の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてない)。

 

現在、群馬県内の約2,200ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんのご近所の何かが載ってるかも?


【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

和合の由緒は不詳。明治期に旧田島村内の諏訪神社、厳島神社、菅原神社、稲荷神社などを合祀している。ご祭神が伊弉諾神、伊弉冉神なので和合なのかな。境内(なのかな?)には和合の銀杏がある。根回り約11.6m、樹高約28.7m、枝張り東西・南北とも約25m。樹幹は1本ではなく、5本の主幹の集合体という特異な形状をしている。

八崎地区の北部、上越線と利根川に挟まれた旧字船戸に石仏・仏塔などの石造物が集積されている。大黒天広場と名付けられているのは、大黒天の石塔があるからだと思う。大黒天石塔は元治元年(1864年)の造立。明治10年(1877年)に八崎赤城神社に遷されたが、居心地が悪かったようで体を揺すって涙を流したという伝承がある。その他石尊宮、庚申塔、双体道祖神などがある。

上南室赤城神社の由緒は不詳。明治40年(1907年)に赤城山大洞の赤城神社に合祀される。しかし昭和22年(1947年)氏子中の要望により分祀されている。社殿は大正12年(1923年)に焼失、翌年再建されている。この時点では赤城山大洞に合祀されているのに社殿を再建したのは、将来的に分祀するという強い意志が氏子中にあったということか。

相ノ田地蔵尊は木曽義仲四天王のひとり楯六郎親忠の末裔がお堂を建立し、地蔵尊を安置したのが始まりとされる。楯親忠は地蔵尊を厚く信仰していたという。親忠は寿永3年(1184年)の宇治川の戦で討死している。楯親忠の末裔と当地との関係はと言うと、義仲や親忠討死後に今井兼平の次男・兼之や根井行親の妻などが、義仲3男・義基を匿い北橘村箱田に落ち延びたとされる。伝承・伝説の域を出ないものだけど。

硯石は赤城山の噴火により噴出した大石。約80トンの重量という。石の上面にはいくつかの凹みがあり、そこにはいつも雨水が溜まっているので、その様子から「硯石」と呼ばれている。硯石には以下の伝説がある。当地にやってきた親鸞がこの石の凹みに溜まった水で墨をすり、歌を一首詠んだといわれている。このことにちなんで「硯石」と名付けられたともいわれる。この伝説は浄土真宗関係者が広めたといわれる。

桃林寺は天正19年(1591年)松平右京太夫家治の開基、開山は下丹生村・永隣寺の春慶である。松平家治は奥平信昌の次男で、徳川家康の養子となったため松平姓を与えられている。家治の母(信昌の正室)は徳川家康の長女・亀姫のため、養子に求められと考えられる。家治は天正8年(1579年)生まれで8歳の時に養子になったが、天正20年(1592年)に13歳で亡くなっている。実質的には桃林寺は父である信昌の開基と考えられる。

曽木神明宮の由緒は不詳。伝わるところでは、伊勢神宮の大宮司政所職の橘朝臣秀葽が授けた「黄色の座玉」を祀ったのが始まりとされる。式年遷宮の際に取り壊された古宮の高欄の「五色の座玉」のひとつみたいだ。橘秀の家に秘蔵されていたもの。秀が当地に下向してきた際に、曽木村の人々の神を敬う気持ちの篤さから授けたといわれる。ただ、秀がいつ頃の年代の人なのかは分からない。

栖雲寺はは寛永4年(1627年)長翁全孫和尚の開山。門前には虎御前が建てたとされる「御虎石」と呼ばれる供養塔がある。享徳元年(1452年)に当地から発掘されている。虎御前とは鎌倉時代初期の遊女で、富士の巻狩りの際に起こった曾我兄弟の仇討ちで知られる曽我祐成の妾。栖雲寺には金銅製の聖観音像(約15cm)が寺宝となっている。唐の代宗皇帝が光明皇后に贈ったものだという。事実なら国宝級だね。

富岡諏訪神社は信濃国の諏訪大社より分霊例を勧請し、宮崎村(現、富岡市宮崎)に創建(創建年などは不詳)。おそらくは西上州が武田信玄の支配下になった永禄9年(1566年)から天正10年(1582年)の武田氏滅亡あたりまでではないかな。慶長17年(1612年)宮崎村(現、富岡市宮崎)から現在地に遷座している。

小日向日枝神社の由緒は不詳。一の鳥居から境内までは長い参道(一般道だが)を行く。境内社に大通龍大権現がある。明治初年に日枝神社内に遷されている。下の病に御利益があるとされる地域での信仰が元になっている。祀られた経緯(由緒)には、やはり下に関する悲しいような、ちょっと微妙な逸話が残されている。願を掛け病が治ったらお礼参り時に木や石で男根を作り奉納するのが習わし。


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