New 【 弓矢八幡の神 ー豊武神社ー 】(伊勢崎市)をUP(11月21日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。

名付けて「上州まったり紀行!!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ。

(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてないけど)

 

現在、群馬県内の1,700ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんの近所の何かが載ってるかも?


【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

弓矢八幡の神 ー豊武神社ー (伊勢崎市大正寺町)

 元和2年(1616年)八幡神社として創建された。明治42年(1909年)に、大正寺・下道寺(げどうじ)・富塚・除ヶ(よげ)・下福島の各地

 区神社を合祀し豊武神社と改称している。

伊勢崎市・大聖寺墓地の宝篋印塔 (伊勢崎市大正寺町)

 明治初年に廃寺となった大聖寺の墓地に宝篋印塔群がある。2基が伊勢崎市の重文になっており、年代を示す銘はないがその特徴から南北朝期のもの

 考えられる。

前橋市総社歴史資料館 (前橋市総社町)

 総社資料館が老朽化(耐震上の問題)し休館していたが、平成28年(2016年)に現在地へ移転、新築の総社歴史資料館としてオープンした。

 王廃寺」「総社古墳群」「総社藩主・秋元氏」など、多数の貴重な遺物が展示されている。

前橋市総社町・立石諏訪神社 (前橋市総社町)

 文禄文禄4年(1596年)総社藩主・諏訪頼水が上諏訪神社、下諏訪神社の2社を字元屋敷に勧請したのが始まりと伝わる。明治31年(1898

 年)利根川の洪水により下諏訪神社の社殿が崩壊・流出したため、翌年に上社・下社を合祀し、諏訪神社として現在地に遷座している。

前橋市総社町・熊谷稲荷神社 (前橋市総社町)

 宝暦6年(1709年)熊谷(埼玉県)の稲荷神社の分霊を勧請したといわれる。重税を課された村民が幕府に直訴した際、熊谷の稲荷神社で祈願した

 ところ、訴えが認められ死罪も免れることができた。これらは稲荷神社のご加護によるとし、稲荷神社を勧請したという。

総社町の総鎮守 ー総社神明宮ー (前橋市総社町)

 慶長9年(1604年)総社藩主・秋元長朝が伊勢神宮を勧請し創建。伊勢神宮の遙拝殿がある。

前橋市小屋原町・稲荷神社 (前橋市小屋原町)

 慶長年間(1596~1615年)に、住民が農作物の豊作が続くこと、住民が安心して暮らせるようにと創建したといわれる。

里見城の鬼門除け ー城山稲荷神社ー (高崎市下里見町)

 里見城のの鬼門除けとして創建された。里見城は新田義重の庶長子・義俊の築城と伝わる。義俊の没年は嘉応2年(1170年)とも元久元年(120

 4年)ともいわれているので、城山稲荷神社の創建は平安末ころと思われる。

高崎市吉井町・小野小町の休み石 (高崎市吉井町下長根)

 小野小町が故郷の出羽国(現在の秋田県湯沢市)へ帰る途中に、池を見ながら腰を降ろして休んだ石といわれる。

 多比良地区西深沢の墓地内に、石造薬師如来坐像が2体安置されている。どちらも牛伏砂岩製で、その特徴から南北朝期の作と考えられている。


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