New 【 甘楽町白倉・金光山白倉神社 】をUP(6月21日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬県の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてない)。

 

現在、群馬県内の約2,200ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんのご近所の何かが載っているかも?


【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

白倉神社は宝亀3年(772年)自然崇拝の神として創建されたという。山中から鉱物を産出したことから金山彦を祀ったともいう。これと和銅元年(708年)に秩父で銅が産出され.羊太夫が朝廷(元明天皇)に献上したことを関連付け由緒とする説もあるようだ。国道254号(旧道)沿いの鳥居脇に天狗像がある。見たことがある人も多いのでは?

圓明院は天和2年(1682年)僧・永純の開山とされる。圓明院には天明の絹一揆の指導者・山田清助と清蔵兄弟の墓がある。天明元年(1781年)江戸幕府が上州・武州の絹市に対し、改所を設置し改料を商人から徴収するとの触書を出したことに農民が反対運動を起こしたもの。結果的に幕府は改所設置を撤回したため、農民側の勝利という結果となったが、山田清助と清蔵兄弟は八丈島への流罪となっている。

大日堂の由緒は不詳だが、大日如来を祀っているのでその名で呼ばれている(と考えられる)。堂内には2体の仏像が安置されており、1体は木像、もう1体は石像。諸説在るが木像が観音菩薩、石像が大日如来とされている。石像の下半身はお堂の床下にある。以前は半身土中に埋まっていたという。なぜこのような状態で安置されている(いた)のだろうか? 

姥子堂の由緒は不詳。寛延3年(1750年)の宝勝寺文書にその名が出てくることから、その当時には創建されていたことになる。この奪衣婆像には伝説が残っている。行基が当地を訪れた際、宝勝寺前の川を三途の川と名付け、そこに自作の老婆の像を残して去った。村人はこれを祟めお堂を建てて安置した。ただ、行基作の像は火災でお堂とともに焼失してしまったので再刻したとされる。

光源寺は大同年間(806~10年)徳一上人の開山と伝わる古刹。徳一は法相宗の高僧で、最澄(伝教大師)と「三一権実諍論」(仏教宗論)を行っている。その後の寺勢に関しては不明だが、元和2年(1616年)に呑龍上人が中興したという。呑流と言えば「太田金山 子育て呑流」で群馬県民にはおなじみの、大光院新田寺を開山した名僧。

3つの県が交わる県境は全国で40ヶ所以上あるといわれるが、そのほとんどが山中だったり河川中だったりする。そんな中、気軽に歩いて行ける3県境はここだけ。3県境となっているのは、群馬県板倉町海老瀬・埼玉県加須市斧袋・栃木県栃木市藤岡町。3県境が観光資源化された発端は栃木県側の地権者さんが、個人的に自作の看板を立てて3県境をPRしたから。それが3自治体を動かしたことになる。

中新田長良神社は明治3年(1870年)針ヶ谷七左衛門らが、水害から耕地を守るため瀬戸井村(現千代田町瀬戸井)長良神社を勧請したもの。瀬戸井長良神社は邑楽郡長良神社の本宮とされている。海老瀬地区には複数の長良神社があるため、旧字名の中新田を用いた。当社は東洋大の南側に位置する。地元で実際にどう呼ばれて(区別されて)いるかは分からない。

大杉神社は天保13年(1843年)大塚六左衛門が嶺耕地を代表し、茨城県稲敷郡桜川村の大杉神社から分霊を勧請したものである。天保11年(1841年)に渡良瀬川が決壊し洪水となり、多くの田畑が荒れ地と化したことからのようだ。峯大杉神社には伝統芸能「大杉囃子」が伝承されている。「悪疫除け囃子」と称され、疫病・農作物の病虫害・流行病等の入村封じ込めなどのご利益があるとされる。

一峯神社は天平宝字8年(764年)二荒山権現を勧請し嶺権現社としたのが始まりとされる。その後、藤原魚名により藤原氏の祖先神である天津児屋根命が祀られ一峯神社となっている。天慶年間(938~47年)には藤原秀郷が当地に道城を築いて平将門の調伏祈願を行ったとされる。また境内に一峯貝塚がある。約7,000年前のものとされるが、もともと規模の小さな貝塚(径1~2m)のため、現在ではほとんど痕跡不明になっている。

頼母子横穴墓群は砂岩層をくりぬいて築かれている。昭和2年(1927年)の工事の現在までに5基が確認されている(1基は個人宅敷地内)。築造時期は7世紀後半と考えられる。現在横穴部が開口しているのは2基(昭和2年に発見された1号墓と2号墓)。昭和2年の調査では副葬品として鉄製直刀が出土している。そのため「古代豪族の墓」とされている。


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