New 【 藤岡市小林・風天神社 】をUP(7月12日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬県の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてない)。

 

現在、群馬県内の約2,300ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんのご近所の何かが載っているかも?


【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

風天神社の由緒は不詳。ご祭神は級長津彦命と級長津姫命で、風の神と女神である。風天は仏教における十二天のひとりで、風を神格化したもの。神道と仏教が融合した名称となっているようだ。文政4年(1821年)に市河米庵によって著された「上野国志」には「(緑野郡に)五行神社あり」と記され、風天神社がそのひとつとされている。

立石神社は元は天正9年(1581年)に松本氏が勧請した琴平宮で、松本氏の氏神である。明治43年(1910年)に若宮八幡宮を合祀し立石神社と改称している。なお、若宮八幡宮は明治41年(1908年)に八幡宮に菅原神社・飯玉神社・八幡宮・稲荷神社・石神社を合祀し改称したもの。境内には立石地区の地名の元になったとされる大石「立石さま」(推定750kg)がある。令和6年(2024年)移設。

崇近寺は慶長年間(1597~1614年)訊誉上人の創建。本堂は平成13年(2001年)の建立。境内の端に「忠犬チビの碑」がある。昭和41年(1966年)の建碑。交通事故で亡くなった幼い主人を慕い、毎日墓参りに通ったという「チビ」を称えたもの。この時代は高度成長期が始まり、クルマが増加の一途をだどっていたころ。安全面の対策が追いつかず昭和45年(1970年)には約1万6,000人が交通事故で犠牲になっていた。

高源寺は天正14年(1586年)に高山定重が父・満重の菩提を弔うため、室田・長年寺9世学州是芸を開山に迎え創建。高山氏の子孫には明治時代に高山社を創設し養蚕業の発展に寄与した長五郎がいる。山門脇に碑が建っている。「萬劫久栄重慶山門」とある。非常に永い年月において栄え慶ぶといった意味か。

上大塚飯玉神社は天正10年(1582年)の神流川の戦い時、社殿及び書類等をことごとく焼失したため、創建年や由緒などは不詳となっている。国道254号から長い参道が続く(数百m)が、周りは住宅地化している。境内にヒマラヤシーダー(ヒマラヤスギ)。昭和8年(1933年)の上海事変・満州事変凱旋記念樹とあった。

医王寺の創建年は不詳。貞享2年(1685年)4世・澄海教伝法印が再興開山、この時に医王寺と改称している。本尊の薬師如来(脇侍に日光菩薩・月光菩薩)は、大正12年(1923年)まで本尊は不動明王といわれていた。薬師如来と不動明王を間違えることはないと思うので、両尊とも安置されていて本尊を間違えていたということなのか。

西宝院の創建などは不詳。承応年間(1652~55年)に鏑川の洪水被害に遭い、元禄14年(1701年)に現在地に移転している。現在地は芦田50騎のひとりに数えられる戸田氏の屋敷跡とされる。なお、鏑川の南岸に「西宝院塚」(現在は藤岡市篠塚)という地名があり、元地と考えられる。山門脇に庚申塔や供養塔などが集積されている(なぜかひとつだけ墓石もある)。

泡輪神社の由緒は不詳。宝永5年(1708年)に再興されたといわれる。本社は奈良市に鎮座する率川(いさがわ)阿波神社。率川阿波神社は宝亀2年(771年)藤原是公の創建とされる。是公は藤原南家の公卿。牛屋大臣と称された。南家は不比等の長男・武智麻呂に始まる。是公は武智麻呂の4男・乙麻呂の長男になる(つまりは不比等の曽孫)。藤原南家の関係者が国司などとして当地に赴任し、率川阿波神社の分霊を勧請したのだろうか。

盛勝院の創建年などは不詳だが、新田村(現在の藤岡市森新田)に創建。寛保2年(1742年)の鏑川の洪水により本堂が流されるなどの被害を受け、同年以降に現在地に移っている。境内は広くないが庭木も良く手入れがされており、非常にきれいな佇まいをしている。1kmくらい離れたところに盛勝院の薬師堂がある。主に墓地となっている。当所は森新田になり、創建地(もしくはそれに準ずる地)なのかな。現在も鏑川がすぐ北を流れている。

戸塚神社は元は熊野神社で、その由緒は不詳。明治10年(1877年)に村内の神明宮・八幡宮・稲荷神社・諏訪神社・御霊神社などを合祀し戸塚神社と改称している。元熊野神社のため、通称「おくまん様」と呼ばれている。戸塚神社の社殿は戸塚神社古墳と呼ばれる前方後円墳の前方部に建てられている。戸塚神社古墳は全長53m、前方部幅41m、後円部径30m、前方部の高さ4m、後円部の高さ2.5m。6世紀後半の築造と推定される。


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