New 【 藤岡市中・泡輪神社 】をUP(6月15日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬県の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてない)。

 

現在、群馬県内の約2,300ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんのご近所の何かが載っているかも?


【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

泡輪神社の由緒は不詳。宝永5年(1708年)に再興されたといわれる。本社は奈良市に鎮座する率川(いさがわ)阿波神社。率川阿波神社は宝亀2年(771年)藤原是公の創建とされる。是公は藤原南家の公卿。牛屋大臣と称された。南家は不比等の長男・武智麻呂に始まる。是公は武智麻呂の4男・乙麻呂の長男になる(つまりは不比等の曽孫)。藤原南家の関係者が国司などとして当地に赴任し、率川阿波神社の分霊を勧請したのだろうか。

盛勝院の創建年などは不詳だが、新田村(現在の藤岡市森新田)に創建。寛保2年(1742年)の鏑川の洪水により本堂が流されるなどの被害を受け、同年以降に現在地に移っている。境内は広くないが庭木も良く手入れがされており、非常にきれいな佇まいをしている。1kmくらい離れたところに盛勝院の薬師堂がある。主に墓地となっている。当所は森新田になり、創建地(もしくはそれに準ずる地)なのかな。現在も鏑川がすぐ北を流れている。

戸塚神社は元は熊野神社で、その由緒は不詳。明治10年(1877年)に村内の神明宮・八幡宮・稲荷神社・諏訪神社・御霊神社などを合祀し戸塚神社と改称している。元熊野神社のため、通称「おくまん様」と呼ばれている。戸塚神社の社殿は戸塚神社古墳と呼ばれる前方後円墳の前方部に建てられている。戸塚神社古墳は全長53m、前方部幅41m、後円部径30m、前方部の高さ4m、後円部の高さ2.5m。6世紀後半の築造と推定される。

いち子岩は平家の落人「いち子姫」にまつわる伝説のある巨岩である。寿永4年(1185年)の壇ノ浦の合戦で平家は敗れた。平家の「いち子姫」も追っ手から逃れ、従者ともどもこの地まで落ち延びてきた。いち子姫たちはあてもなく彷徨っているうちに、とうとう追っ手に見つかってしまった。いち子姫は近くの岩によじ登り、深い淵に身を投じた。後の人々はいち子姫を哀れに思い、この岩を「いち子岩」と呼ぶようになった。

動の滝は「神流七滝」のひとつで、滝の沢川にある滝である。滝は一の滝・二の滝・三の滝と3つある。「道の駅 万葉の里」の手前(国道462号沿い)に「不動の滝」の案内板がある。遊歩道がきれいに整備されている。恐らく今年設置したばかりではないかな。現在、一の滝と二の滝二は行けるが、三の滝には行けないようだ。お手軽に滝が見物できるが、多少の山登りではあるので、靴はきちんとしたもので行きましょう。

万葉大吊橋は「道の駅 万葉の里」と神流川を挟んだ対岸を結ぶ吊り橋で、平成5年(2023年)に開通している。歩行者専用の橋で長さ89m・幅1.5m。橋板の中央を開けており、下部に張られた金網越しに神流川が見える。これが怖い。さらに歩くたびに意外と揺れる。管理協力金として往復100円で渡ることができる。通行量ではないが「スリル体験料」とあった。

塩沢ダムは神流町(旧万場町)の治水・利水のため、赤久縄山を水源とする一級河川・塩沢川に建設されている。平成7年(1995年)の完成。堤高38m・堤体長157mの重力式コンクリートダム。ダム湖は「蛇神湖(へびかみこ)」。ダム湖完成時、町民からの公募で命名されている。その昔、神域であった赤久縄山には大蛇が棲んでいて、村を守ってくれる神であると崇められていたことから。

力くらべ石は塩沢村の大正院(黒澤源内)とその柔術の師匠・九蔵が力くらべのため、塩沢川上流から担いで運んだ石といわれる。江戸時代の文化年間(1804~17年)ころのこと。大正院の石は高さ77cm・幅60cm、九蔵の石は高さ85cm・幅70cmで、重さは150kg超と推定される。江戸後期から明治にかけて力くらべ・力試し(力石を持ち上げる大会)が数多く行われていた。当時は鍛錬を兼ねた娯楽の一種であった。

万場高校のすぐ南側を流れる神流川(万場高の対岸)に枕状溶岩がある。秩父古生層の「みかぶ帯」に属する厚さ10~20mのもので、玄武岩や凝灰岩を主に石灰岩、粘板岩、チャートなどの薄い層がまじっている。海底火山活動により次々に流れ出た溶岩が海水で冷却されて枕状に固まって形成されたもの(上部が川面に露出している)。この辺りは往古は海であり、時代が下るにつれ隆起している。

慈恩寺の創建年などは不詳だが、悦堂保禅の開山と伝わる(悦道との資料もある)。悦堂は応永9年(1402年)の生まれとされる。悦堂が諸国修行のおり、西御荷鉾山中腹の池の薬師に参拝し薬師如来の功徳を感じ、里に慈恩寺を開いたという。慈恩寺には「龍女伝説」が伝わっている(伝説の内容は記事参照)。


【ブログカテゴリー紹介】

「上州まったり紀行」のカテゴリー一覧です。各市町村別・テーマ別に分類してあるので、興味のあるものがあればご覧ください。


【注意事項】

本ブログは趣味の範疇でやっているものなので、記事や写真の説明に誤りがある可能性もあります。学術的に裏取りができていない異説・風説・噂話や勝手推論など多数書いてますので、そこはご理解の上、読んください。現地で「えぇ~、違ぁ~う!」と感じられても、ご勘弁を。

 

また「上州まったり紀行」は、基本的にリンクフリーです。記事中の写真も基本的にフリーです。但し、出典として当ブログ名(URL)を明示してくさい。商業利用については、いかなる場合においても「不可」です! (詳細はフッターエリアの「概要」をお読みください)