New 【 藤岡市藤岡・諏訪古墳と諏訪神社北古墳 】をUP(8月26日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


カテゴリーの基本は群馬県の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、
そちらからもどうぞ(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてない)。

 

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【最新記事】

「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。

諏訪古墳は全長57m・後円部径37m・高さ4mの前方後円墳で、6世紀後半の築造と推定される。前方部墳頂には藤岡諏訪神社の社殿が建っている。諏訪神社北古墳は藤岡諏訪神社境内にある直径25m・高さ2mの円墳で、円墳で、築造は6世紀後半と推定される。高山長五郎功徳碑と町田菊次郎頌徳碑が建っている。

藤岡諏訪神社の紹介2回目。諏訪神社には三井越後屋から奉納された2座の宮神輿がある。安永9年(1780年)に江戸人形町長谷川通りの大仏師であった安岡良運、安岡忠五郎により製作され諏訪神社に奉納されている。その他、境内末社や高山社の創設者・高山長五郎功徳碑と2代目社長・町田菊次郎の頌徳碑などの紹介。

藤岡諏訪神社は元は平安時代に祀られた椙山明神で、永享3年(1431年)に当地の豪族・有田定景が訪大社から上社・下社を勧請したとされる。その後、永禄9年(1566年)に芦田信守が諏訪大社から剣一口・鏡一面を請受け、本郷別所に上の社、当所に下の社を奉祀したという。ただし、芦田氏(依田氏)が藤岡を領したのは信守の孫・康勝からになるので、康勝が諏訪大社の上社・下社を勧請したと考える方が分かりやすいのだが。

福島元七は明治33年(1900年)に桑切り包丁を上下させることによって、次々に桑葉が刃の下へ送られる仕組みの蚕具桑刻機(通称「福島式桑刻機」)を発明した。「福島式桑刻機」は注文が殺到し、海外も含め約150万台も販売されたという。元七の功績を顕彰するため、昭和4年(1929年)富士浅間神社境内に「福島元七顕彰碑」(福島翁之碑)が建てられた。

富士浅間神社の創建年などは不詳だが、当地を治めた古代の有力者の墳墓(古墳)に祠を設け、上郡御霊明神としたのが始まりと伝わる。その後、文永11年(1274年)に日蓮上人が佐渡から鎌倉に戻る途中、木花開耶姫命の御霊を当神社に遷したという。以来、富士浅間神社と社名を改めている。当社が富士浅間神社となったことをきっかけに「富士岡」と呼ばれるようになったとされる。ただ「富岡」と紛らわしかったため「藤岡」としたといわれる。

医光寺は元和元年(1615年)僧・真海の開創とされる。医光寺には藤岡市最大の板碑が保存されている。板碑は秩父産の緑泥片岩製で、高さ253cm、鎌倉時代末の延慶3年(1310年)の造立。明治時代末に神流川の土中から発見され、医光寺に移されている。昭和41年(1966年)に台風による倒木のため倒れ、上部90cmのところで折れてしまったが、昭和44年(1969年)に修復されている。

碑自体は「積木神社之跡」を示す碑で、昭和20年(1945年)に建立されている。当碑が「天保ききんの碑」と呼ばれる所以は、碑の裏面に天保8年(1837年)の穀類の価格が刻まれているから。この石は元は付近の橋として使われており、天保8年当時この石橋の下に僧が住み付いていたという。この僧が食糧難による物価高の実情を石橋の裏側に刻んだものとされる。地元の人たちは「積木神社之跡碑」を建立したのだが、知ってか知らずか「天保ききんの碑」を建立していたということになる。

千部供養塔は天明3年(1783年)の浅間山大噴火の模様と、その被害状況(各地の降灰量や凶作による諸物価の高騰など)を刻んだ供養塔である。安山岩製で高さ80cm・幅31cm・厚さ21cm。大噴火の9年後の寛政4年(1792年)に旗本・松平忠左衛門の代官・斉藤八十衛門雅朝の建立。降灰状況は前橋で7~8寸(約21~24cm)、高崎・藤岡で一尺(約30cm)とある。

高山村の「田んぼアート」は人員不足などの事情により中止となった。活動の継続が困難のようで、実質的には「終了」となる(上毛新聞記事)。平成21年(2009年)に始まった「田んぼアート」。毎年6月初旬に村内外か集まったボランティアの方々手で、約20アールの田んぼに田植えが行われ、7月から8月には多くの人が見物の訪れていた。平成27(2015年)年から毎年見に行っていたが、残念なことである。

風天神社の由緒は不詳。ご祭神は級長津彦命と級長津姫命で、風の神と女神である。風天は仏教における十二天のひとりで、風を神格化したもの。神道と仏教が融合した名称となっているようだ。文政4年(1821年)に市河米庵によって著された「上野国志」には「(緑野郡に)五行神社あり」と記され、風天神社がそのひとつとされている。


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